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「聖霊の賜物」    使徒徒言行録2章1~11節

聖霊降臨日はペンテコステと呼ばれます。よく子どもたちが(うちの教会ではありませんが)「ヘンテコステ」と冗談で言ったりしますが、ペンテコステとは50番目という意味の言葉です。

ユダヤ教に過越の祭から50日目に「7週の祭」と呼ぶ、小麦の収穫を祝う祭がありました。昔からこの日を律法授与の日として大切にしているようです。その「7週の祭」をギリシャ語に翻訳したのが「ペンテコステ」、つまり7週を経過して50日目、という言葉なのです。新共同訳聖書では、「五旬祭」と訳されています。

イエスさまが十字架に架かられた時は過ぎ越の祭りの最中でしたから、それから50日目の出来事であったことを表しています。この日に、この聖書の箇所に記されている出来事が起こりました。使徒言行録214節を読むと、弟子たちに聖霊が降り、「一同は聖霊に満たされ」たと記されています。ゆえに教会では「聖霊降臨日」と呼びます。そしてこの日を私たちは「(キリスト)教会の誕生の時」としているのです。

先週の週報でも「次週は教会の誕生日です」とご案内しましたが、先日行われた中部教区総会の閉会礼拝で「本当にペンテコステはキリスト教会の誕生日なのか」との問いを受けました。この日、全くの無から教会(交わりとしての教会)が生まれたわけではありません。確かに、このペンテコステと呼ばれる出来事以前から、イエスさまを中心とした弟子たちの交わりは存在していました。またイエスさまも「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書1820節)と話されていましたので、ペンテコステ以前に教会の誕生を見ることも可能なのか、とも思うのです。

では、教会とはいったい何なのでしょうか。イエスさまを救い主と信じる人たちの集まり。イエスさまの教えをきくために集まってきた人たち。いろいろ言えると思います。しかし、今日の聖書の箇所、ペンテコステの出来事を記す記事は、大事なことを示しています。「一同は…話し出した」ということです。そして、この場所に居合わせた人々は「彼らが…神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と驚いたのです。つまり、神の業を、その福音を、証ししたということです。それが聖霊の業として今日の聖書にはっきりと記されているのです。

聖書には、「この日教会が誕生した」とは書かれていませんが、世のキリスト教会は、イエスさまを救い主として信じ、その教えをきくために礼拝するだけでなく、その教え、つまり福音を証しすることをもって自分たちを教会としてきたのです。そういう意味で、礼拝と証しは教会にとって欠かせないものなのです。

先週の礼拝で、イエスさまが召天される直前に私たちに与えてくださった「大宣教命令」について学びました。これに応える存在として教会が生まれたのです。それも、自らの力によってではなく、聖霊の力によって。聖霊の賜物として教会が生まれたのです。まずそのことを確認しておきたいと思います。

そしてこの日、聖霊に満たされた使徒たちは、それぞれ外国の言葉で神の力ある業について語り出しました。イエスさまの復活、昇天、そして聖霊の力を通して、弟子たちは神の証人として新たな歩みを始めるのです。


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