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『安心しなさい』   マタイ14:22~36

五千人の給食は、私たちにとって驚くべき神様のみ業でした。イエス様が五つのパンと二匹の魚で人々を養ってくださったからです。その後、イエス様は弟子たちを「強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ」られました。ところが、弟子たちの乗った舟は逆風に悩まされました。ガリラヤ湖は突風が吹くので有名な湖です。イエス様は湖上を歩いて漕ぎ悩んでいる弟子たちのところに行かれます。しかし、弟子たちはその姿を見て「幽霊だ」と怯えました。でも、イエス様はすぐに話しかけ、自分であることを彼らに知らせられました。

「五千人の給食」の出来事と同様に、水の上を歩くこの物語も、現代の私たちにとっては躓きとなり得ます。科学の発達した現代に生きる私たちにとって、この物語はおとぎ話か神話でかたづけられることが多いのではないでしょうか。聖書神学者によって、この箇所は様々な観点から吟味され、合理的に説明しようとする試みがなされました。それを非神話化といいます。すべては錯覚だと考えられました。弟子たちは舟は陸から「何スタディオンか離れて」いたと思い込んでいました。しかし、逆風のために吹き戻され、実際の舟の位置は、ガリラヤ湖の北岸からそう沖に出ておらず、周りは浅瀬であったと考えます。イエス様はその浅瀬の中を歩んで弟子たちのところへやってこられました。弟子たちは、ここはもう湖の真ん中でまさか浅瀬だとは思っていません。だから、イエス様が来られた時、あたかも水の上を歩いておられるように見えたのです。ペトロはイエス様だと判ると「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と言います。ペトロはてっきりここは湖の真ん中だと思っていますから、足の裏に感じる砂地に陸を感じることができず、また「強い風に気がついて怖くなり、」背のつく場所であるのに「沈みかけた」のです。イエス様はすぐに手を伸ばしてペトロを捕まえ、二人は舟に乗り込みます。時は間もなく夜が明けようとする頃、ガリラヤ湖を吹き荒れた風は静まりました。

この物語の中で、私たちが疑いを差し挟む部分、非神話化する必要がある部分をはぶいて物語を構成してみるとどうなるでしょうか。イエス様は弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へと向かわせたということ。舟が陸から離れたところで逆風に漕ぎ悩んでいたこと。イエス様が弟子たちのところで来てくださったこと。ペトロが恐怖のあまり沈みかけたこと。イエス様がペトロを連れて舟に乗り込まれると、舟の中にいた人たちが「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエス様を拝んだこと。非神話化しなくても、この物語は福音を宣べ伝えているのです。私たちが何の疑いも差し挟む必要のないところに真理はあるのです。逆風のために波に悩まされていた弟子たち。イエス様の弟子の中には漁師がいたでしょう。彼らは舟を操舵するのには慣れていたはずです。そんな彼らでも強い逆風に漕ぎ悩んでいました。イエス様は悩まされている弟子たちのところへ来てくださいました。舟に近づくイエス様の姿に、弟子たちは「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげました。しかし、イエス様はすぐに彼らに話しかけられ、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言ってくださいました。ペトロが「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と言ってイエス様の許可を求め、イエス様が「来なさい」と言われたので、彼は舟から降りて水の上を歩き、イエス様の方へ進みました。しかし、すぐに強い風に気付いて怖くなり、沈みかけます。ペトロは叫びました。「主よ、助けてください」するとイエス様は彼を捕まえ「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」とおっしゃいますが、すぐに手を伸ばして助けてくださるイエス様の姿が描かれています。

そして、イエス様とペトロが舟に乗り込むと、風は静まったのかどうなのかはさておき、「舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。」とあります。強い風にもまれている中で、イエス様を拝んだとは思えません。その時、確かに風は止んでいたのです。

私たちにとって、本当の奇跡は、神の子イエス様が、人生の荒波の中で溺れそうになっている私たちのところへ、やって来てくださる、ということです。水の上を歩こうが、泳いで来ようが、そんなことは全く関係ありません。恐れや失意の中で埋もれてしまうような私たちのところへ、イエス様ご自身の方からやって来て、私たちと共に歩んでくださるということです。罪人である私たちには、そんな資格はありません。しかし、それでもイエス様は、私たちのところでやって来てくださるのです。そして、イエス様の歩まれた道に付いていこうとしても、私たちは道を踏み外します。その時ペトロのように「主よ、助けてください」と叫ぶと手を伸ばして捕らえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と叱られはしますが、助けてくださるのです。これが福音なのです。

一見躓きとなるように見える、聖書の物語。しかし、そこから語られている福音は、とても単純なものです。それは「主が共にいてくださる。」インマヌエルということ。そしてイエス様は怯える私たちに、「すぐに」話しかけてくださり、「すぐに」手を伸ばして捕まえてくださるのです。

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