『からし種とパン種のたとえ』 マタイ13:31~35
小さなからし種は、大きな木に成長します。また、パン種は少量であってもパンを大きく膨らませます。二つの譬えは同じ意味として語られていると考えてよいでしょう。天の国の種は、地上で「からし種」として大木になるか、「パン種」として影響を及ぼすか。いずれにしても「種」は始めは小さくても成長し、やがて大きくなる。と言うことが語られています。からし種は小さな粒であるので、たいへん小さなものの比喩に、よく用いられます。しかし、世界で一番小さい種というわけではありません。ユダヤ人が日常知っている種のうちで、それは最も小さいものでした。そして「からし種」とは単に小さいというだけでなく、種はあれだけ小さいのに、その種から育つ木のサイズが桁外れに大きいということです。「野菜」が「木」になると書いてあるように、それは一年草なのですが、十分な水分と肥料を与えると、驚くことに3m以上の高さに達するといいます。小さな種とは、イエス様の語る天の国、すなわち神の国。それは、今はごく小さな種に過ぎないが、大きく育つ力が既に種の中に秘められています。従って、現在の小ささに失望する必要は全く無いのです。むしろ、未来から現在を見直すべきです。
「パン種」の譬えの主題は、「からし種の成長」と平行して書かれてありますが、少しだけ違った色合いが加えられてあります。パン種なわちイースト菌の力は、多量のパンの生地でも、その全体に行き渡り膨らませる、ということです。 新約聖書の中では、「パン種」は必ずしも良い譬えに用いられているわけではありません。それは時に悪の力を譬えているところもあります。例えば、ガラテヤ5章9節、コリントの信徒への手紙一5章6節以下です。その他にも、マタイによる福音書16章6節に、「イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。」とあります。
しかし、イエス様はここで、天の国の隠れた奇跡的な力を示すものとして「パン種」を譬えに用いられました。おそらく彼は子どもの時、母マリアが台所でパンを作る時、粉の中にパン種を混ぜるところを見ておられたのだろうと思います。微量のパン種も、生地全体を大きく膨らませます。最初は人目につかないような存在であっても、それはやがて全体を変え、大きなものとなります。イエス様の伝える天の国もそれと同様なのです。天の支配を作り出すイエス様の言葉が、全世界の質を変えるのです。ゆえに、この箇所ではパンの量はわざとオーバーに3サトンとしています。だいたい大人150人分くらいのパンです。ある女性(単数)がこねて作るのには多すぎる量でしょう。しかしイエス様はわざと誇張することによって、天の国にはその様な、私たちの思惑をはるかに超える力がある、と教えておられるのです。これらの譬えは、決して「小さくても良いのだ」「少なくても選り抜きだ」という自己満足を教えるものではありません。そこは間違えないように、注意が必要です。人の目には、つまらない1ダースの田舎者としてしか映らなかったイエス様の弟子達と、素人ラビのイエス様。からし種のように、あまりに小さくて、そんな者に存在価値は無いと見るのでしょうか。ガリラヤの漁師、ベトサイダの農夫、元徴税人。そんな小さな者が力を持っているはずがないと言うのでしょうか。しかし、驚くことに、神様の目には既に、それが空の鳥を宿すくらい大きな木として映っているのです。ナザレの田舎教師の周りに集まった、一握りのパン種、いや一つまみのイーストを見なさい。それが全世界の隅々に浸透して、発酵させてしまった終末の計画が、あなたに見えるでしょうか。そこにはローマ帝国の恐怖の独裁を覆す力があるのです。と教えておられるのです。
私たちは、今日のみ言葉を聞き、この譬えの本質に近づくことができました。天の国には、小さな「からし種」が大木になるのと同じように、私たちには思いもよらない神様の力が満ちているということ。天の国は、わずかな「パン種」がパン生地を膨らませるように、私たちを根本から変える力があると言うこと。この天の国はイエス様と共に、私たちのところに来ました。そこには私たちを成長させ、聖霊で満たす力に満ちています。この天の国の力、それを教えてくださるイエス様の愛に、すべてを委ねて平安を得、日々の歩みの第一歩を踏み出したいと思います。


Comments