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『キリストの復活』   マタイによる福音書28章1~10節

 イエスさまの受難(十字架)は金曜日でした。ユダヤの一日は日没から始まります。
ですから次の安息日(土曜日)まであまり時間がありませんでした。あわただしく十字
架からおろされたイエスさまの遺体は、イエスさまの弟子であったアリマタヤ出身の
ヨセフに引き取られ、遺体をきれいな布でくるみ、彼の墓に納めました。安息日が終
わって日曜日の朝早く、女性たちが墓に行きました。彼女たちはどうして墓に行った
のでしょうか。イエスさまが埋葬された時、他の人が立ち去った後も、この女性たち
は墓の方を向いて座っていたとあります。(27:61)

この女性たち、マグダラのマリアともう一人のマリアですが、彼女らはイエスさま
の十字架を最後まで見届けました。多くの人がイエスさまが息をひきとられた時に、
これで終わりだと思ったのでしょう。しかし、この二人の女性は、これで終わりとは
思っていませんでした。なぜなら、イエスさまは受難の予告と同時に、復活の予告も
しておられたからです。「一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人
の子は人々の手に引き渡されようとしている。そして殺されるが、三日目に復活する。」
弟子たちは非常に悲しんだ。」(17:22~23)と、記されています。受難の予告は復活
の予告でもあったのです。この女性たちは、その事を覚えていました。だから、イエ
スさまが墓に納められた後も、まだ終わりではない。復活されるかもしれない、と考
えていたと思うのです。
安息日が終わって女性たちが墓を見に行った時、大きな地震が起こりました。イエ
スさまが息をひきとられた時も地震が起こりましたが、今回の地震は墓石をわきへ転
がすための地震でした。その時、主の天使が天から降って近寄り、石の上に座ったと
記されています。
墓にイエスさまを訪ねてきたマリアたちは、復活のメッセージを受
けます。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さ
あ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」(v.5~6)
6節の「復活なさった」7節の
「復活された」は、原文では受動態で書かれており、直訳すると、「よみがえらされ
た」となります。つまり、イエスさまの復活において、父なる神さまの圧倒的な力が
明らかにされたのです。神さまの愛の力によって死の支配が打ち破られ、十字架に於
いて処刑されたイエスさまが「よみがえらされた」のです。
 最初に復活を知ったマグダラのマリアたちは、今度はその復活を宣べ伝える者とし
て遣わされます。「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は
死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこで
お目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」(28:7)
彼女たちは走りま
した。恐れながらも大いに喜びながら。この福音を弟子たちに告げるために。そして
その途中で、復活のイエスさまに出会います。彼女らの行く手に立って、「おはよう」
と言われました。復活のイエスさまにはガリラヤでお会い出来る、と天使から告げら
れておりましたが、このマグダラのマリアともう一人のマリアは、誰よりも先に復活
のイエスさまに会うことができたのです。彼女らは近寄ってイエスさまの足を抱き、
その前にひれ伏しました。この事によって、復活のイエスさまは幽霊のようなもので
はなく、しっかりと抱くことができる確かな存在として、弟子たちに再びその姿を現
されるのです。
空虚な墓は、イエスさまがもはや死人の中にはおられないことを表しています。イ
エスさまは復活されたのです。イエスさまは、私たちの罪の身代わりとなって、父な
る神さまの怒りと呪いを受けて本当に捨てられました。死の暗黒に、つまり黄泉にま
で落とされたのです。あの悲惨な十字架に於いてのみ、私たちの罪が贖われるのです。
フィリピの信徒への手紙2章6節以下に次のように書かれています。「キリストは、
神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって
自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、
神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」ここに明
らかなように、十字架の死に至るまで従順であったイエスさまを、父なる神さまがご
自分の力によって高く上げられたのです。
十字架に於いて、私たち人間の全ての罪を贖い、黄泉にまで下られたイエスさまは、
その死の世界を打ち破って復活されました。その事によって、私たち罪人の終わりが
変えられました。簡潔に言うと、罪人であった私たちの「死」は地獄から天国へ替わっ
たと言うことです。死はもはや、この世の絶対的な支配者ではなくなったのです。復
活は神さまの力が発揮された出来事です。イエスさまの復活は歴史を変えました。

たちは神さまの力に支配され、神さまの救いの中に生きています。いや生かされてい
ます。死からのよみがえりの力を持つイエスさまは、信じる私たちのうちに住まい、
復活の命、死に至る命ではなく、永遠の命を与えてくださるのです。
それ故、私たち
は大胆にこう言えるのです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこに
あるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」わたしたちの主イエス・キリスト
によってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝したいと思います。

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