『救い主の誕生』 ルカによる福音書2章8~20節
救い主イエスさまの誕生は、最初に野宿していた羊飼いたちに告げ知らさ
れました。私たちは羊飼いというと、ダビデに繋がるイメージがあります。
しかし、イエスさまがお生まれなさった時代、彼らは貧しく身分の低い者と
されていました。
それにしてもいったい何故、羊飼いは羊を連れて野宿していたのでしょう
か。こんな季節に羊を外で一晩過ごさせるとは、いったいどういう事なので
しょうか。寒いし、羊を襲う獣にも狙われます。当然、羊飼いもたいへんで
す。本来ならば、寒く恐ろしい夜は、心配のない囲いの中や、暖かな家畜小
屋で過ごすはずなのです。おそらく、羊飼いたちは、家畜小屋を追い出され
たものと思われます。彼らは家畜小屋で羊や他の動物たちと一緒に暮らして
いたのです。ですから、家畜小屋とは私たちがクリスマスのイメージで思う、
小さな馬小屋ではなく、もっと大規模なものでした。その中に羊飼いたちの
居住空間もあったのです。
皇帝アウグストゥスの勅令により、全領土の住民は登録するために生まれ
故郷の町に行かねばなりません。ベツレヘムにも散り散りになっていた人た
ちが大勢集まってきていました。ヨセフもダビデの家系なので、ガリラヤの
町ナザレから、その町ベツレヘムにやってきました。裕福な人たちは、知人
や親戚の家に泊めてもらえますが、貧しい者は宿屋に泊まらなければなりま
せん。宿屋はどこもごった返しで、部屋という部屋は満員です。宿屋の主人
は、この稼ぎ時に、家畜小屋を空けて、貧しい人たちを泊めたのだろうと考
えられます。だから、羊飼いたちは追い出され、その夜、羊たちを連れて野
宿しなければならなかったのです。
家畜小屋に宿をとった人たちは、マリアとヨセフだけだったのではありま
せん。他にもそこにしか宿をとれなかった貧しい人たちがいました。考えて
みれば、その家畜小屋でマリアが出産するという時、同じようにそこに泊まっ
ていた女性たちの手助けがあったのだろうと思います。ヨセフには申し訳な
いのですが、彼だけではどうすることもできなかったでしょう。
野宿している羊飼いたちに戻りますが、彼らに主の天使が近づき、主の栄
光が周りを照らしました。恐らく彼らにとっては天使に会うなんて初めての
出来事だったのでしょう。驚きと畏れをもって、この光景に出くわしました。
その天使は「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方
こそ主メシアである。」(2:10-11)「主メシア」とは主キリストという意味で
す。当時、ローマの圧政の中で、ユダヤの人たちは労役と税金に苦しんでい
ました。彼らは、聖書(旧約聖書)に預言されている、救い主が現れるのを待
ち望んでいました。貧しい羊飼いたちも、確かに救い主を待ち望んでたこと
には変わりはないでしょうが、どこかで自分たちには関係ないと思っていた
のだろうと思います。救い主は確かに来てくださるに違いないが、自分たち
のところにではない。と思っていたのです。それほどに彼らは貧しかったの
です。そんな彼らに、天使は「あなたがたのために救い主がお生まれになっ
た。」と言うのです。そしてしるしが与えられます。「あなたがたは、布にく
るまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあな
たがたへのしるしである。」飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子。これが羊飼
いたちに与えられたしるし。何故でしょう。私たちの考えでは、生まれたば
かりの赤ん坊を家畜の飼い葉桶の中に寝かせるなんて、とんでもないことで
す。しかし、それは羊飼いたちの日常でした。彼らは土間にわらを敷き寝て
いました。でも生まれたばかりの赤ん坊を、土の上には寝かせることなどで
きません。余っている飼い葉桶の中に寝かせます。彼らに赤ん坊が生まれた
時にはいつもそうしていたのです。
だから、「これがあなたがたへのしるしである。」と言われた時に、羊飼い
たちは分かったのです。自分たちには関係ないと思っていた救い主の誕生。
しかし、そうではなかった。まさに救い主は、王宮にではなく、金持ちたち
の間でもなく、貧しい自分たちのところに来てくださったのだと。だから飼
い葉桶の中の救い主は、彼らにとってのしるしとなるのです。「すると、突
然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところ
には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」天使の讃美を聞
いた彼らは「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来
事を見ようではないか」と話し合いました。町中がごった返す中、彼らはマ
リアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子をほどなく見つけまし
た。何処を探せばよいのか、彼らには分かっていたからです。それは追い出
された自分たちの暮らしていた家畜小屋。彼らにしか分からない場所でした。
天使の言うとおりであったこの出来事を、彼らは町の人々に告げ知らせま
す。最初のクリスマスを過ごした羊飼いたちは、最初の宣教者となったので
す。しかし、彼らの言う事を聞いた人々は皆、不思議に思いました。聖書に
は「皆」と書いてあるので、誰一人羊飼いたちの言う事を信じる者はいなかっ
たと言う事でしょう。来るべきメシア、キリスト、王としてイエスさまは来
てくださいましたが、もっとも王らしくない生まれ方をし、もっとも神らし
くない姿をとってこられたからです。そこには神にふさわしいものは何一つ
ありません。疑う者は疑う事が出来ます。心をかたくなにする者は、心をか
たくなにします。しかし、たとえ疑っても、心をかたくなにしても、この家
畜小屋で生まれたお方の中に、神さまの栄光は現されています。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」
(ヨハネ3:16)
神は、その独り子を賜うほど、あなたを愛してくださっているのです。飼い
葉桶の中の乳飲み子は、その事を示しているのです。
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