『怒ってはならない』 マタイ5:21~26
今回のみ言葉には、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と記されています。
そんな事は当たり前だとみなさん思われるでしょう。しかし、もし、「どうして人間
を殺してはいけないのでしょうか」と問われたら、その理由をきちんと説明する事は、
案外難しいものではないでしょうか。
イエス様は「あなたがたも聞いているとおり」と言っておられますが、これは旧約聖書の、出
エジプト記20章に記されている十戒にある言葉です。これは昔の人たちから、神様の大切な
教えとして語り続けられてきました。「殺してはならない。」これはその第六戒に記されていま
す。十戒では、“何々してはならない”と、禁止命令の言葉が続きます。しかしヘブル語では、
禁止というよりも“何々するはずがない”という意味合いになるそうです。また、十戒は本文だ
けでなく、前文の意味するところがとても重要です。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジ
プトの国、奴隷の家から導き出した神である。」この前文が表わすのは、かつてイスラエルの
人たちは、あのエジプトの奴隷状態から、つまり人間が動物のように扱われ、虫けらのように
殺される状況から、神によって解放されたという事です。この解放の喜びが先にあり、だから
「殺す事などありえない」と続くのです。ファリサイ派の人たちはこれの逆です。先に戒めがき
ます。「こうしてはいけない」「こうしなければいけない」というように、禁止と命令が先に来るの
です。そうやって律法を守る事によって神の民とされる、と彼らは信じていました。けれども福
音は本来、喜びの知らせです。「幸いだ」「喜び踊れ」が先にあるのです。神は奴隷だったイス
ラエルの人たちの生命を尊び、苦しみから解放されました。動物のように扱われていたイスラ
エルの生命は、神によって解き放たれました。人間の生命は、奴隷のように好き勝手にできる
ものではなく、神様が愛し大切にしてくださる生命です。だから私たちもお互いに人の生命を
大切にしなければなりません。だからこそ、人は「殺す事などありえない」のです。
イエス様は十戒の教えを確認してから、こう言われます。「しかし、わたしは言っておく。兄弟
に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」たとえ殺さなくても、心の中で、兄弟、-この場合は
家族の兄弟にとどまらず、同胞である者をそう呼んでいるのですが-兄弟に腹を立てる者は
「人を殺している」という事と同じであると。今回の箇所のイエス様の教えは、とても厳しいもの
です。旧約聖書の箴言には「激しく憤る者は罰を受ける。救おうとしても、あおるだけだ。」(19
章19節)とあります。人間には感情がありますから、怒らずにいることはできません。いくら温
厚な人格者であっても、その心の中では「怒る」ことを避けることはできないでしょう。箴言20
章27節には、「主の灯は人間の吸い込む息。腹の隅々まで探る。」とあります。主の灯によっ
て腹の隅々まで探られたなら、誰もが、人に対して一度は憎しみを抱いたことがあると気づか
されるはずです。
また23節では、ユダヤの神殿の祭壇でに供える物を持ってきて、それを供えようと
する時、ある兄弟が自分に反感を持ってる事を思い出したら、その供え物を祭壇の前に
置いておき、その兄弟と仲直りしてから供え物を捧げるように。また自分を訴えようと
する人と歩みを共にする時途中で早く和解するように、と勧められています。そうしな
ければ、その人は裁判所に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるというのです。最後の
1クァドランス(約100円くらい)を支払うまでは、決して出られないとも書かれていま
す。このように読み進んでいきますと、イエス様の教えは、ファリサイ派の律法学者が
言っている律法主義よりも、厳しいものです。ファリサイ派の律法は、心の中までは探
りません。ただ行いによって救いに至ると信じているからです。イエス様は違います。
私たちの罪をあからさまに指し示し、腹を立てる事は、殺すことと同等だと言われるの
です。
神様は人間が互いを憎み争うことを避けよとおっしゃっています。何故なら神様は
どの生命も大切なものとして愛しておられるからです。「怒り」は私たちに平安をも
たらしません。むしろそれを破壊します。そして心の中に罪の入り込む隙を与えてし
まいます。とはいえ私たち人間は、人に全く腹を立てずに、また人からまったく反感
をかわずに生きる事は、おそらく不可能です。そういう意味では私たちは厳しい裁き
を受け、火の地獄に投げ込まれるしかなく、自分では払いきれない負債を負っていま
す。けれども、その私たちの代わりに裁きを受け、黄泉に下り、最後の1クァドラン
ズまで支払ってくださった方がおられます。「怒る」事から解き放ってくださるよう、
神様を、イエス様を見上げましょう。そして私たち一人ひとりが、イエス様によって
贖われた尊い生命であることをもう一度、心に刻み、交わりを形成していきたいと思
います。


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